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File No.110314

「奴はこんなことを言っていた。・・・自分の魂なんてものは何にもねえってことが分かったんだとさ。ひとつのでっかい魂のほんの小さいかけらしか自分は持ってねえんだってことが分かったって言うんだよ。どうしてかと言うと、あいつが持っている魂の小さなかけらは、残りの魂と一緒になって完全なひとつのものになんねえ限り何の役にも立たねえからだって、そう言うんだよ」。これはスタインベック著「怒りの葡萄」の一節である。スタインベックが言っているのは、人間がこの世に生れ、死んでいくということは、現世はもちろん死後の世界でもひとりひとりが一端を構成し、わずかながらも影響を与え、宇宙のバランスを保っているということだろう。「人の霊魂は肉体および頭脳を含め、全宇宙の霊の一部である。従って、すべての解答は己の中にある。・・・すべての霊魂は究極的には全宇宙の霊と一体であることを知れ。・・・」。スタインベックの考えと同じように思えるが、これは女優シャーリー・マクレーンが書いた「アウト・オン・ア・リム」の中の一節である。シャーリー・マクレーンは"輪廻転生"を信じて生きている。


シャーリー・マクレーンはこう書いている。「魂が現実に存在しているということに確信が持てれば、すべてが違ってくるのよ。・・・私たちはみんな魂を持っている、というか私たちは魂そのものなの。・・・今の人生以前に何回もこの世に生れてきていて、これから先も何回も生まれてくるのよ」。ヒトは、魂を核とする「人間」部分と60兆個の細胞から成る「個体」部分の融合によって造られている。ドーキンスは「遺伝子は自分自身を増やそうとするものであり、生物はそのための乗り物にすぎない」と言った。それを人間的に考えると、「魂」は「遺伝子+個体」を乗り物として、ひとつの人生を生きていることになる。人間は魂までも認識する深い精神性を持つ。魂を核とする人間は、輪廻転生を繰り返しながら、その魂に人生のDNAを刻みこんでいく。ヒトは死に際して、走馬灯のように人生を振り返りリセットする。各人生の個々の出来事は初期化され、来世には繰り越さない。前世の具体的な事象の記憶は必要としないが、生きたレベルと心の深い部分に沈みこんだ記憶は、確実に魂のDNAとして刻み込まれている。


私は以前、人生のレベルは、トータルとしてゼロでバランスしていると書いたことがある。マクロでバランスの一端として役割を果たしながら、同時に個々人では過去・現在・未来でバランスを保っている。現世に生まれ出るとき設定されるレベルは、前世までに刻み込まれたDNAに基づき、ゼロを基準に設定される。つまり、我々は、この世に生まれる前から、すでに基本路線は規定されている。ただし毎回同じレベルではなく、多少のゆらぎがあるから、次に高いレベルの人生を望むなら、現世で我慢の人生を歩むことになる。それは次に向けた貯金と思えばよい。「個体」の死は「魂」と無関係ではないが、切り離して考えなければならない。最近、カネをかける葬儀というものに疑問を持つ人が増えている。そういう人たちは極端な話、「直葬」を望むことも多いと聞く。「直葬」とは、葬儀などしないで、直接火葬場へ行くというおくり方である。つまり、個体の生と死は、「魂」によってコントロールされている訳だから、魂の離脱した個体は、すでに人間としての意味を持たないということであろうか。


マグニチュード9.0という巨大地震は、東北地方・太平洋沖地震と名付けられ、未曾有の被害をもたらした。我々は自然のもつ脅威をまざまざと見せつけられた。一見、じわじわと寄せてくるような津波が、一つの町全体をわずか数分で粉々に砕き、息をのむ惨状にしてしまう。リアス式海岸という地形が、津波の猛威をさらに大きくしたという。飲み込んだのは町だけではない。そこで生活をしていた多くの人たちも襲われた。ある海岸では数百のご遺体が確認されたという。一万人を超す人たちの安否がいまだ確認できていない町もある。どこまで被害が拡大するのか予想がつかないが、丸二日間、流された屋根の上で助けを待ち、救助された方もいる。自衛隊をはじめ、多くの人が必死で救助の手を差し伸べている。しかし、不幸にして亡くなられた方々がいらっしゃるのもまた事実である。亡くなられた方々のご冥福を心からお祈りしたい。「ご冥福を祈る」とは死後、魂が幸せでありますようにという意味である。来世では必ず、更に幸せな人生であることを信じたい。


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