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File No.091122

先日の新聞に全国町村会と福岡県町村会の連名で「日本人よ、故郷をなくしてどこへいくのですか。」という意見広告が載っていた。その中に「私たち、日本人は、古代から自然との共生を大切にしてきました。・・・・そのなかで、豊かな情感、繊細な美意識、優しいもてなしの心などを育んできました。・・・」とあった。古代から日本人の"豊かな情感""繊細な美意識"を育んできたのは、変化に富んだ四季の移ろいである。ある時は華やかに、ある時は激しく、ある時はやさしく、四季折々の美しい色彩とともに日本人の心を形成してきた。万葉集に、志貴皇子(しきのみこ)の歌で「石走る 垂水の上の さわらびの 萌えいづる 春になりにけるかも」、大伴家持の歌に「雪の上に 照れる月夜に 梅の花折りて 愛しき児もがも」というのがある。いづれも、日本人の研ぎ澄まされた感性と美意識がうかがえる。こうして豊かな自然に磨かれてきた日本人が、その自然を切り取って庭に再現したのが日本庭園である。

福岡市内には日本庭園がいくつかある。「大濠公園日本庭園」は、福岡市美術館の隣にあり、時々行って散策する。廻遊式の庭園で、大きな池を中心に、滝や石橋やあずまやがあり、四季折々の木や花々とともに楽しんでいる。特に、小雨の時など風情があっていい。「友泉亭公園」(城南区)は、もと黒田藩の藩主・継高公の別荘として造られたものである。パンフレットには「黒田藩の家風を偲ばせる"幽玄静寂"な日本庭園」と書かれている。池に張り出した座敷に座って、静かに庭を眺めると、まさに殿様が酒や茶の湯を楽しまれた様子が目に浮かぶ。「松風園」(中央区平尾)は、浄水通りの九州エネルギー館の近くにある。福岡玉屋の創業者・田中丸善八氏邸だったところである。マンション計画が持ち上がったとき、その自然環境や文化的価値を訴えた地域住民の熱意で守られたものだ。もうひとつ博多駅近く、住吉神社の裏手に日本庭園がある。「楽水園」(博多区住吉)という。ここは博多商人・下澤善右衛門親正が別荘として造ったところである。入園料も100円と安い。私が知っている福岡市内の日本庭園はこの四つである。

京都の庭園を紹介する番組を時々見かける。奈良、平安、室町、江戸時代と、時の権力者たちによって、少しずつ形を変えながらも日本庭園は引き継がれてきた。現代の庭師たちが作庭を競うテレビ番組も、何度か見たことがある。福岡市内の日本庭園にも、昔から受け継がれてきた手法や精神が生きている。日本の四季の折々を現した山や川や海、それが庵や茶室などと一体となり、光と影までも計算する細やかさである。廻遊式庭園では、散策する人の目線にまで配慮して造られるという。枯山水では、石だけで奥深い山や渓谷から海へ注ぐ川の流れを現す。激しく流れる川、穏やかにゆったり流れる川、目に見えない大きさを感じさせる石の置き方など、その微妙な配置はまさに職人技である。枯山水では龍安寺の石庭が有名である。京都の文化財のひとつとして世界文化遺産にも登録されている。庭と静かに向き合い、対話し、人それぞれが何かを感じ取る。居ながらにして自然に包まれ、自然と語り合い、自然に学ぶ。この自然との一体感、この深い精神性こそ、日本が世界に誇る文化である。

日本三名園と言えば、金沢の兼六園、水戸の偕楽園ともう一つ、岡山の後楽園である。シンクロの原田早穂さんが、岡山の後楽園を見ながら、ふっとこうつぶやいていた。「こういうのを見ると、日本人っていいなと思う。よく見ると繊細にできている」。つまり、日本庭園が今に引き継がれているということは、我々日本人の誰もが、この日本庭園の奥深さを理解する感性を持っているからこそである。庶民レベルで庭園を楽しむと言えば、京都の町屋には、坪庭というのがあるという。座敷から眺める、ほんの数メートル四方の庭、そこに「深山幽谷」の世界を造り出す。町の中に居て、あたかも山の中の生活を味わう。これを「市中山居」と言うらしい。マンション暮らしの私には、坪庭さえも望めないことだが、有難いことに福岡市内には、先ほど紹介した日本庭園がいくつもある。足を伸ばせば柳川の「御花」、熊本の「水前寺公園」、鹿児島の「磯庭園」などもある。日本人の誰もが持つ、自然を愛(め)でる心、それは、豊かな日本の風土によって、日本人の細胞に刻み込まれた記憶である。
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