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File No.090925

45年前のある日、親会社でダンスの講習をするという回覧が回ってきた。就職したばかりで、シティボーイを目指す秋元君としては、これはぜひとも身につけておかねばならない基本である。やがて時が過ぎ、秋元君は転勤し、福岡の街を後にした。転勤先には、運命の人・かわゆい日見子ちゃんがいたのである。聞くところによると、日見子ちゃんはダンスが踊れるらしい。待ってましたとばかりに秋元君、日見子ちゃんをダンスに誘った。事前に流しておいた"秋元君はダンスが踊れるらしいよ"という情報操作が奏功し、首尾よく日見子ちゃんのOKを取り付けた。わくわくしながらダンスホールに行った秋元君。かって身につけたダンスの腕前を颯爽と披露したのである。時間も進み、ホールにはタンゴの曲が流れてきた。フロアーはサーッと潮が引くようにまばらになった。そこにベテランらしい男性が、日見子ちゃんに申し込んできた。フロアーに進んだ日見子ちゃんは、それまでとはまるで別人だった。あたかも蝶が華麗に舞うがごとく、異彩を放ったのである。秋元君は、わが目を疑い凍りついた。壁の花がフリーズして、秋元君はドライフラワーと化したのであった。

撃沈のショックが癒えるのに少々時間を要した秋元君だが、ふたたびアッタクを開始した。ある秋の晴れた日、ある遊園地で菊人形展をやっているというので、日見子さんを誘った。現地待ち合わせで、少し早めに来て待っていた秋元君。あらわれた日見子さんに目を見張った。着物姿だったのである。それはまさに第三種接近遭遇。光輝くオーラに包まれていたのでありました。車の免許を取って運転に自信が持てるようになった秋元君は、真っ白に輝く「トヨタ・パブリカ」で、日見子さんとドライブに出かけた。もちろんレンタカーだったが、1000キロも走っていないピカピカの新車だ。静かな湖畔で食べた日見子さん手作りの弁当は最高にうまかった。二人のドライブ好きはここが原点である。喫茶店やドライブとデートを重ねれば、それなりに資金もいる。そこで、給料やボーナスごとに二人で金を出しあい、その軍資金は日見子さんが管理した。おかげで何不自由なくデートはできたわけだが、考えてみれば、これまで日見子に全部家計をまかせ、うまく切り盛りしてきてくれたというのは、すでにここから始まっていた。

突然日見子の声。「あら!まあ〜久し振りね。○○はまだ役者やってたのね」と台所でテレビの音声だけ聞きながら言っている。テレビの番組表を見てもそんな俳優名は見当たらない。「ほら、今しゃべっている人よ」。「う〜ん、そういえば面影はあるな〜」こんなことが時々ある。「このナレーションは誰だと思う?」と聞くと、しばらく聞いて「北の国からの蛍ちゃんじゃないかしらね」。確認のためエンドロールまで見ると確かに中島朋子さんだった。
先日、「たかじんのそこまで言って委員会」を二人で見ていた時のこと。話題が「核持ち込みをめぐる日米密約」になった時、金美齢さんがこんな事を言った。「安全保障というのは、どこかにあいまいなところがあって当たり前だし、国家の安全というのは、100%公開してこうです、こうですというものではない」。これを聞いて「その通り」、「そうなのよ」と二人"同時"に反応した。考え方というのは、人それぞれ違って当たり前であり、それが個性というものではあるが、夫婦として40年という長い時間を生きていくには、自分にない優れたところを認め、一方では相通じる価値観を感じることが大切である。


ルビー婚について日見子に聞くと「ドライブして、おいしいものでも食べましょう」と言う。特にこれといったことではなく、淡々と昨日に続く今日を生きるといった風である。文字通り「平凡こそが最高の幸せ」である。この随筆のタイトルを「ルビー婚式」とせず、単に「ルビー婚」としたのもそんなことからである。人間の生きていく道には、可能性として無限の選択肢が用意されている。それを日々、苦悩しながら、あるいは無意識のうちに選択して生きている。その決定要因は、その人の価値観である。ひとつひとつを選んできた、その積み重ねがその人の人生となる。一人の女性が無限の可能性を、私の人生に合わせて選択し、生きてきてくれた。そこにある推し量ることのできない重みを、今にして感じるのである。よく“空気のような存在”こそが目指すところのように聞く。ある面では的を得ていると言えようが、もう一歩進めて、相手の存在をはっきり認識してこそ本来のあるべき姿ではないかと思う。

生まれて初めて一句ひねってみた。セオリーなど全く分からないので、一笑に付していただきたい。
 
 " 寄りそいし 時のながれに ルビーの輝き " 秋元久英


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結婚53年目[2022/09/25]
   


2009・11・01 テレビを見て
 テレビのインタビューで、若い男性が彼女を横に「一生、彼女を守ります」と言っていた。SMAPの曲に「らいおんハート」というのがあるが、その歌詞のなかにも「・・・・君を守るため そのために生まれてきたんだ・・・・」とある。ところが、ベテラン夫婦のインタビューでよく聞かれるのは「ここまで来れたのも、妻が支えてきてくれたおかげです」と感謝の言葉である。間違っても「私が、妻を守りぬきました」などという言葉は聞こえてこない。

万葉集にこんな歌がある。「我が背子は 物を思ひそ 事しあらば 火にも水にも 我がなけなくに」。詠んだのは安倍女郎(あべのいらつめ)である。現代語訳は「あなたそんなに一人で心配しないで。何かあったなら、火にも水にも飛び込む、私というものが一緒にいるじゃありませんか」。“内助の功”というのは、山内一豊の妻が有名だが、万葉の時代から現代に至るまで、脈々と受け継がれている。

 以前、日見子と、ある公園に芝桜を見に行った時のことである。小石がゴロゴロしていて、少々足元の悪い坂があった。一緒にその坂を歩いている時、私が「もし倒れたら、一緒に倒れてあげるよ」と冗談を言うと、「あら、心強いわ」と日見子。実際、人生で共に歩いて行くのに、安倍女郎ではないが、どちらかが圧倒的に優位などということは考えにくい。一方が倒れたら、もう一方も倒れる。たいていそこでは、お互いが精神的に支え合って切り抜けていくことになる。

 テレビのインタビューに応えていた若者も、その意気込みは分かるが、実態から言えば「僕の一生を支えて下さい」だろう。彼が考えているほど、女性は弱くはない。しかし、言われた彼女も、それでは面食らうだろう。“支え合う”ということからすれば「一生、苦楽を共にしましょう」くらいが正解に近いのではないか。坂道で二人一緒にこけたら、傍から見ている人はおかしさが2倍だろうが、倒れた当人たちの恥ずかしさは半分になる。


2009/11/22 西日本新聞
「理想の夫婦」・・・・明治安田生命が20〜50代の既婚者対象に実施したアンケート結果
順位 理想の有名人夫婦
1位( 1) 三浦友和 山口百恵
2位( 2) 江口洋介 森高千里
3位( 3) 木梨憲武 安田成美
4位( 7) 唐沢寿明 山口智子
5位(12) 佐々木健介 北斗 晶
6位( 4) 桑田佳祐 原 由子
7位( -) 水嶋ヒロ 絢香
7位( -) 名倉 潤 渡辺満里奈
9位(12) 三谷幸喜 小林聡美
10位( 5) 高橋ジョージ 三船美佳
( )内は前年順位