浮世の月見過しにけり末七年
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file-No. 021228


先日テレビで、亡くなった有名人の特番があっていた。私の年齢だと、ほとんどの人をリアルタイムで知っていて懐かしかった。なかでも昭和を代表するスーパースター「美空ひばり」と「石原裕次郎」が、いづれも「52才」で亡くなったのを見るに、いかにも若くして亡くなったのだと思う。すでに自分が52才を超して5年、改めて強く感じることであった。

「人間五十年、下天のうちを比ぶれば夢幻の如くなり。一度生を享け、滅せぬもののあるべきか。」これは、織田信長お気に入りの「敦盛」である。また52才で亡くなった井原西鶴は「辞世 人間五十年の究まり、それさえ我にはあまりたるに ましてや 浮世の月見過しにけり末二年」と辞世の句を詠んでいる。いづれもその人なりの悟りの境地が伺える。

金さん銀さんが、なにかで賞金をもらった時、インタビュアーが「この賞金は何に使いますか」と聞いたら、「老後のためにとっておきます」と言ったという。妻いわく、人間、いくつになっても「これでよし」ということはない。なるほどもっともです。生きようとするのは、人間の本能であり、数千年の昔から不老長寿は人間の永遠の夢だった。でなければ、とっくの昔に人間なんて滅びている。しかし、その反面西鶴も見事です。私みたいな凡人には、西鶴の「2年も生きすぎた」という超越した域には、到底到達出来そうもないが、少なくとも「精一杯生きてよし、いつ終わってもよし」くらいの考えはもっておきたい。

「美空ひばり」にしても「石原裕次郎」にしても、我々の平々凡々の間延びした人生と比べれば、はるかに高い密度の52年であったと思う。没後、美空ひばりは国民栄誉賞に輝き、裕次郎は、テレビCMで甦るほど今も輝いている。
「あら楽し思いは晴るる身は捨る 浮世の外にかかる雲なし」忠臣蔵の大石蔵之助の辞世の句である。「終わりよければ、すべてよし」自分自身に忠実に生き、納得できる人生だったかどうかである。

「精一杯生きてよし、いつ終わってもよし」(秋元久英)




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