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「美人薄命」という言葉がある。「美人」とは文字通り「美しい女性」であり、「薄命」とは、「短命」という意味のほかに「不幸せ」という意味もある。この言葉は、美人というプラス要素が、不幸というマイナス要素でバランスしている。似たような出来事を耳にするのは、そう珍しいことではない。宝くじに当たった人が、その後転落の一途をたどる、なんてことはよくあることだ。また、「運を使い果たす」とか「こんな事で運を使い果たしたくない」なんていう言葉もごく一般的に使われている。「幸運」に相対する「不運」の存在を皆が受け入れている。こう言うと必ず「いいや、そんな事はない。美人で、金持ちで、幸せな人生という何拍子もそろった人はいる」と反論が出る。確かにいるであろう事を否定はしない。そこで注目したいのが「前世」「来世」である。仮にこの幸福な人が「前世」において現世と相反する人生だったとすればどうであろうか。これもまたバランスするのである。


「永遠」とは、「無限に続く永い時間」のことである。「宇宙の果て」はどうなっているのか、「無限」とはどういう事なのか、誰しも考えたことがあるだろう。しかし、その考えはこの世の誰しも到達できない。私なんか、考えているうちに気が狂いそうになる。ただ、この気の遠くなる「無限」「永遠」を我々が何度も生まれ変わって生きていく為には、エネルギー「ゼロ」でバランスしなければならない。我々小さな一生命体が、「真空のエネルギー」のような永遠のエネルギーなど持てようはずもない。つまり、「正の真空エネルギー」と「負の真空エネルギー」が微妙に交錯し「ゆらぎ」ながら、「無」の世界を保っている状態と思えばよい。


さて、バランスを前提に「現世」をどのレベルに設定するかは大問題である。「前世」でマイナスレベルでエネルギーの貯金が出来ている人は、今度はいい人生に出来るであろうし、貯金を使い果たしたどころか、使いすぎた人は、最悪の人生にならざるを得ない。過去とのバランスにおいて、生まれる前にそのレベルが決定され、設定された道を歩むことになる。たとえば、永遠のゼロベースを基準に、プラスをレベル
5まで、マイナスをレベル5まで設定できるとしよう。「現世」を「プラス5」で設定したとする。当然何拍子も揃ったいい人生を送ることになる。マイナスレベルを設定した人から見れば、うらやましい人生である。しかし、一向に気にすることはない。たまたま「現世」の基本設定が違っただけであるから、誰しもが結局同じなのである。「プラス5」を設定した後には、「マイナス5」が待っている。あるいは、「マイナス2」と「マイナス3」という2度の悪い人生であるかもしれない。「前世」「現世」「来世」にわたって、エネルギーを「ゼロ」でバランスさせようとすれば、自ずと「現世」で何拍子も揃った幸せな人は当然「前世」「来世」で相対する人生で「ゼロバランス」を取らざるを得ないわけである。



つぎに、「現世」のみで考えてみよう。人間は、生きていく上で、多くのほかの人生と関わりあって生きていく。と言うことは、外的要因に常に左右されるわけである。また、人間生きていれば、「欲」と言うものも出てくる。だんだん高いレベルがほしくなる。一度ぜいたくするともう元には戻れないのが人間であり、これもまた人情というものである。地球温暖化問題で、問題の重要性は充分分かりながらも、なかなか地球的合意に達しないのは、一度身についた贅沢を落としたくないという先進国の単純なわがままなのである。さて、そうなると、「現世」の基本設定レベルを「超えた部分」を維持しようとすれば
基本設定レベルを中心に更にバランスをとらなければならない。つまり、今の贅沢を落としたくなければ、進んでマイナス要因を取りに行く必要に迫られるのである。間違っても、何億円もの宝くじなんかに当たってはいけない。せいぜい買っていい夢を見て、結果300円に落ち着くのが一番よい。


ではマイナス要因とはどういうものか。それは、精神的苦痛であっても、物理的苦痛であってもよい。その積み重ねが、守るべきプラスレベルを維持させ、余裕があれば更なるハイレベルをも可能となる。あるいは、仮に基本設定がマイナスレベルであったとしても、積極的に更なるマイナス要因を取りに行けば、現世のみのバランスにおいて、プラスの人生も可能となる。これを突き詰めて考えると、究極のポジティブ志向となる。どんな人生であろうが捨てたものではない。


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