柔道・篠原選手”無念の銀メダル”(シドニー)


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左の写真は、
「Mainichi INTERRACTIVE
シドニー五輪特集」より



File-No.000923

妻が、先日こんな事を言った。「実力がありながら世界の頂点に立てなかった敗者の"銀"、期待通りに取った当然の"銀"、予想だにしなかった歓喜の"銀"。オリンピックのメダルは、"銀メダル"においてこそ最高のドラマが展開される」。「う〜ん、なるほど…」ということで今度のオリンピックは「銀メダリスト」に特に注目していた。そんな中、22日柔道男子100キロ超級の世界王者・篠原信一(旭化成)が決勝でダビド・ドイエ(フランス)に不可解な判定で敗れ、銀メダルに終わったというショッキングなニュースが日本をかけめぐった。

この試合、開始1分30秒過ぎ、ドイエが内またをしかけた。この技を篠原がタイミングよくすかし、ドイエは背中から落ちた。篠原に「一本」が宣告されてもおかしくないと思われた。2人いる副審の1人は、篠原の「内またすかし」に一本を主張した。しかし、主審は篠原が横向きに倒れたため、ドイエに「有効」を宣告。残る副審が主審の判定を支持し、ドイエに「有効」のポイントがついた。実況のアナウンサーも解説者も、「有効」が相手についたことが、明らかな間違いと判断。見ている妻と子供は「怒り心頭」である。しかし、試合はそのまま進み、両者のポイントは「有効」のみで、ドイエの2―1。最終的に微妙な判定のポイントが勝敗を分け、ドイエの優勢勝ちとなった。

その後、山下泰裕監督らが審判団に対して執ように口頭で抗議したが、一度下った判定は、当然覆えることはなかった。国際柔道連盟(IJF)のジム・コジマ審判理事も「私も篠原の勝ちだと思う」とコメントした。山下泰裕監督は不可解な判定について「あの場面、ドイエは完ぺきに投げられた。一本で終わっているはずだった。あれは相手の技をすかして投げる技術的に高度な技で、それを見る目が審判になかった。高度な技を彼らが見逃した、ということだ」と話した。昭和30年代、プロ野球審判の二出川審判長は「私がルールブックだ」という野球史に残る名言を吐いた。審判は、リアルタイムのプレーを見て判定をすることにおいて、その存在理由があり、一瞬における正しい審判において、その権威と権限を持つと私は考える。正しい審判があってはじめてプレーをする選手が実力を発揮でき、そのプレーが、観戦する人の感動を呼ぶものである。すなわち、今回のように、非公式ではあるが審判長までもが認めた明らかなミスジャッジであるなら、再審の道も当然有ってしかるべきだろう。

表彰台で篠原選手は終始うつむき、目には涙が浮かんでいた。競技中、相手は審判の死角をついて「肩襟」という「反則行為」をした。”ドイエは「柔道」という「道」が理解出来ていない”と思ったのは私だけではなかろう。それとは対照的に、すべてを分かっていながら、篠原選手は「ドイエはやっぱり強かった。誤審?不満はありません」と相手をたたえるコメントをした。大相撲では、行司の判定に物言いが付いたり、ビデオによる検証によって判定が覆ることも多い。しかし、土俵上の力士は行司の判定に絶対注文をつけない。「泰然自若として騒がず」である。武道における勝敗は、勝ことだけではない。武道は、日本の長い歴史に培われた日本独特の精神に裏付けられている。柔道精神に基づき、日本の誇りを守った篠原選手こそ真の金メダリストである。

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