裁判員制度に思う(2)へ 裁判員制度に思う(3)へ
裁判員制度に思う
随筆のページへ

トップページへ

file-No. 040117

ある日突然、裁判所から「召喚状」が届く。その召喚状は、TV・新聞等で騒がれ誰もが知る重大事件の裁判員として出頭を命じるものである。出頭しなければ罰金刑が科せられる。これは好むと好まざるにかかわらず、国民の義務なのだ。さて、裁判に臨むのはいいが専門知識など全くなく、まして難解な法律用語などまるで外国語に等しい。厳粛な雰囲気に呑まれそうになりながら、裁判官と一緒に並んで、原告、被告の弁論に耳を傾ける。その微妙なニュアンスや、極々些細な矛盾点を見出して、さーどっちの言ってる事が正しいのか判断を迫られる。しかも、その判断には、人一人の命がかかっている。人が人を裁くという“重み”をひしひしと感じながら、法律のエリート3人を前に確固たる自分の信念に基づいて意見を述べなければならない。さて、これを読んでいる“あなた”自信がありますか? これは現実であり、他人事でもないのですよ。

「裁判員制度」は、今回の司法改革の目玉である。法律専門家の判断だけでなく、一般人の常識を判決へ反映させることを目的としている。確かに、考古学に凝り固まって、手かせ足かせで、的を得ない邪馬台国近畿説などという例もある。国の主権者である国民の良識を重大な判決に反映させることは望ましい。しかし冒頭に述べたように我々は、裁判というものに慣れていない。近年重要犯罪は増加の一途をたどっているとはいえ、慣れるほど裁判に出頭することもない。ある試算によれば、選ばれる確率は数百人に一人というから、むしろほとんどの人が経験しないで終わる。この制度を実施するにあたっては、その当りの現実を充分考慮した裁判のあり方も問われる。とは言うものの、選挙人名簿から無作為に抽出されるから、いつ自分に白羽の矢があたるか分からない。誰しも常に、いつ召還されてもいいだけの心構えは必要である。

もう半世紀も前のアメリカ映画だが、ヘンリー・フォンダ主演の「十二人の怒れる男」という映画があった。陪審員が評決を下すまでのプロセスを描いた名作である。法廷から戻って最初の評決では12人の内11人が有罪。陪審員団の雰囲気は、有罪(=死刑)が圧倒的で再考の余地なしだった。しかしその中にあって、ヘンリー・フォンダはただ一人異論をとなえた。「どうする?」という問いに対し「話したい。私が賛成したら簡単に死刑が決まる。あの子はひどい人生を過ごした。惨めな18年だった。少しは討論してやろう」と主張する。次の評決では、その考えに感じるところのあった老人が、無罪に変わる。議論は白熱し、波状攻撃のごとく無罪へ変わっていく。そして感動のエンディングへ。私は、この映画を最初に見たときの感動を今も憶えている。わが国の裁判員制度にあっても、先入観に左右されることなく、確固たる自分の信念に基づく冷静な判断が求められる。

いつ自分に召還状が届くか分からないという気持ちから、事件を見る眼も従来とは、全く違って来るだろう。家庭や、会社で自分ならこう判断するという具体的な意見交換もなされるようになるだろう。テレビでは、具体的な模擬事件によって判断を迫るような番組もできるだろう。日本全体、気運は盛り上がることは間違いない。それこそ、開かれた司法の目指すところであるのかもしれない。「怒れる12人の男」で陪審員の一人がこんなことを言う。「我々は責任がある。これが実は民主主義のすばらしいところだ。郵便で通告を受けると、みんながここへ集まって、全く知らない人の有罪無罪を決める。この評決で我々は損も徳もしない。この国の強い理由はここにある」。裁判員制度を前に、肝に銘じておきたい言葉である。そのアメリカが作った映画の最新作「ニューオリンズ・トライアル」が今月末公開される。陪審員をテーマにした映画である。半世紀の時を経て、アメリカがどう変わったのかも楽しみである。


随筆のページへ トップページへ
裁判員制度に思う(2)へ 裁判員制度に思う(3)へ



  追伸 : 平成17年(2005年)4月17日西日本新聞より
裁判員制度参加・・・7割がNO

 市民が裁判官とともに殺人など重大刑事事件の審理に当たる裁判員制度について、内閣府は16日付で、初めて実施した世論調査の結果を公表した。制度について7割が認知していたものの、裁判員として参加するかどうかは逆に7割が否定的な回答だった。昨年5月の裁判員法成立から約1年。認知度は上がっても、理解が深まらない現状が浮き彫りになった。
 調査対象は全国の20歳以上の男女3千人。今年2月、個別面接による聞き取りで実施。回収率は69.2%だった。
 20095月までに始まる裁判員制度を「知っている」と「ある程度、知っている」は計71.5%。「知らない」は28.5%だった。制度の概略を説明した上で参加意識を聞くと「参加したい」はわずか4.4%。「参加してもよい」を加えても25.6%。「参加したくない」と「あまり参加したくない」は計70.0%に達した。 全国10ブロックのうち、九州・沖縄地区では認知度、参加意識ともに全国平均よりも低く「知らない」が32.3%、「参加したくない」と「あまり参加したくない」は計77.6%にのぼった。
 参加したくない理由は、複数回答で「有罪・無罪などの判断が難しそうだ」「人を裁くということをしたくない」を挙げた人がいずれも半数近く。「仕事・家事に差し障る」「面倒そうだ」は12割だった。
 参加したい理由では「国民として協力したい」が約半数。「犯罪防止や治安に関心がある」「国民の義務だから」「刑事裁判がよくなる」がいずれも3割近くあった。「制度導入で裁判や国民の意識がどう変わるか」との質問には、肯定的な選択肢が並んだにもかかわらず、「参加する国民は法律の専門家ではないため、適切でない判断が出る恐れがある」を挙げた人が最も多く、約4割に達した。

裁判員制度

 法廷に市民の感覚、常識を反映させることを目的に、くじで選ばれた20歳以上の市民が裁判員として刑事裁判の審理に参加し、裁判官と話し合って有罪・無罪、量刑を決める制度。司法制度改革の一環として、20095月までにスタートする。 殺人、放火、強姦罪など重大事件が対象で、原則として裁判官3人、裁判員6人で構成する。高齢、在学中、病気など一定の理由があるときは辞退できる。裁判員の負担軽減のため連日開廷を目指し、多くの事件の審理は数日間で終結する見込みとされる。裁判員制度対象事件は03年の統計では全国で約3000件。
随筆のページへ トップページへ