大相撲九州場所
〜〜 50回記念 〜〜
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FileNo.061127

大相撲九州場所が昨日千秋楽を迎え、今年の本場所はこれですべて終わった。今場所は九州場所が本場所になって、50回という記念の場所だった。私は11日目に福岡国際センターに足を運んだが、50回記念のストラップのプレゼントがあった。パネルの展示も実に懐かしかった。本場所になった昭和32年頃といえば、当時相撲ファンだった父が、はじめて街頭テレビで観戦したときのことを思い出す。帰ってきて第一声が「思ったより、動いてなかったよ」だった。私が、興味を持って大相撲を見始めたのもそのころだ。詳しいストーリーは忘れたが、子供向けの映画に出演した千代の山を今もかすかに記憶している。昭和32年の年頭の西日本新聞に掲載された記事をスクラップしていたので、改めて読み直してみたが実に懐かしい。就職して福岡に出てきたころは大鵬・柏戸が活躍していた。起重機と言われた明武谷、褐色の弾丸房錦、個性豊かな力士も多かった。

今場所は結局、朝青龍の全勝優勝で終わった。しかし、敢闘賞と技能賞を受賞した豊真将の活躍は光った。福岡県出身・琴奨菊は六日目まで1勝5敗だったが、その後9連勝で二桁にのせ敢闘賞受賞は立派だ。これで来場所は三役が期待できそうだ。そして、福岡県出身といえば、なんと言っても魁皇だ。10回目のかど番で、進退をかけて臨む場所となった。ところが魁皇は稽古充分、気力充分、無傷の8連勝でかど番を脱出した。そんな魁皇に福岡のファンは惜しみない声援を送る。11日目の千代大海との取り組みでも、手拍子とともに、魁皇コールの大合唱で館内は大いに盛り上がった。魁皇も勝利で応えてくれた。力の入ったいい相撲だった。場所前に稽古を観に行った阿武松部屋の片山も11日目は、圧倒的に強い相撲をみせた。高々と足を上げる片山の四股は、時間いっぱいで気合を入れる高見盛とともに、大きく館内を沸かせた。プロには、こういうパフォーマンスも必要だ。

場所前に福岡女子大学であった「異境から来た21世紀の力びと」という公開講座を聴きにいった。早稲田大学・宮崎里司教授と荒汐親方、三段目・蒼國来(そうこくらい)の鼎談だったが、これがなかなか興味深い話を聞くことができた。野球選手は日本語を話せずに帰っていくが、力士はみんな上手に話すのはなぜか。相撲の世界では、縦社会の常識を、稽古場で徹底的に教える。教授は「言葉もぶつかり稽古だ」といい、更に「日本語力と番付は比例する」という。言葉が分らなければ強くならないのである。言葉の壁を克服しながら、一方では辛い稽古の日々が待っている。しかし、荒汐親方は、外人力士は昭和20年〜30年代の考え方で育って、日本にきているという。日本人力士は、ちょっと辛いとすぐに故郷に帰ってしまうそうだ。無理もない、徒競走で「みんな一緒に手をつないでゴールしましょう」というような環境で育ったのでは違って当たり前かもしれない。

だからというわけでもなかろうが、一部屋一人の外人枠にもかかわらず、幕内には13人(但し、一人は引退)もの外人力士がいる。つまり3割が外人力士ということになる。11日目の取り組みでも、黒海×安馬、露鵬×把瑠都、と二番続けて外人力士同志の取り組みがあった。今や、外人力士なしでは成り立たないと言っても過言ではない。外国人力士を排斥しろというつもりはないが、何とかしないといけない事態ではある。阿武松部屋のホームページを見ると、“キッズ阿武松”として相撲の普及に尽力されている様子が伺える。いっそのこと小・中・高一貫の相撲学校を設立して、日本中から入学させてはどうか。科学的な裏づけをもって体を作り上げ、国技(神事)を行うものとして歴史や神話も含め徹底して教育するといい。今育っている環境から一気に、理不尽なまでの縦社会に放り込まれるよりましだろう。卒業時にドラフトで各部屋へ入る。そこから、花形力士が出れば盛り上がること間違いなし。ちょっと飛躍し過ぎか・・・。

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大相撲・昭和32年初場所対談

秀の山親方、尾崎士郎氏
昭和32年1月3日〜4日
    西日本新聞より
;一部を抜粋)

初場所大相撲は5日新番付発表、13日初日でふたを開けるが、今年から福岡場所が昇格して五場所制となり、それだけに相撲興隆の話題もにぎやかである。一方土俵の焦点は数奇な運命を背負った大関若ノ花と横綱不振の声を吹き飛ばした鏡、千代をはじめとする四横綱の真っ向からの激突、進境いちじるしい玉乃海の飛躍、これにつづく大内山、松登、朝汐らの巨豪、若羽黒、若ノ海、成山、鶴ヶ嶺、琴ヶ浜ら上位陣のはげしい星のつぶし合いなど大型力士の充実で、その興はいよいよ尽きない。本社では横綱審議会員で本紙に「うそ八万騎」を執筆の作家尾崎士郎氏と相撲協会の“ちえ袋”といわれるインテリ力士元笠置山の秀の山親方に初場所の見どころを中心に、語ってもらった。

―――福岡場所が本決まりとなり五場所制となりましたが、福岡決定のいきさつを親方からどうぞ・・・。
秀の山・・・協会としては初めはやる自信がなかった。というのは宣伝、設備その他の点でばく大な費用がかさむからだ。ところが地元でこういった面を全部負担するということで、とんとん拍子に話がすすんだ。けっきょく大阪とはちがって協会と地元の共催という特別なかたちをとることになった。協会にふんぎりをつけさせたのは昨年の准本場所が延べ12万人のファンを集め、本場所に格上げしても地元にあまり迷惑をかけずにやれるというメドがついたのと、テレビの開局がこれに拍車をかけた。
尾崎・・・福岡のファンは大阪とはちょっと気質がちがってむしろ東京に近いものをもっている。とにかくよくすもうを知っているよ。
秀の山・・・わしは平和台のこともあるので九州人は気が荒い、相撲のお客さんもそうではないかと実は心配していた。ところが意外にも静かすぎるので驚いている。一つは各力士の後援会というものができていないことが、まだ熱狂的にならないのかも知れない。
尾崎・・・武ばったことが好きな九州のことだからたちまち後援会が林立して、大さわぎになるだろう。場所数がふえると過労から東京以外の場所がおろそかになるのでは、といった心配をする人もあるが、東京、大阪、福岡とそれぞれ異なったふんい気のものがあることはいいことだ。とくに相撲がさかんなところでは、力士も気がぬけないから、福岡場所の将来には心配がない。

―――“初場所は誰か”に焦点をあててください
尾崎・・・相撲の予想ほど当たらぬものはない。だからわたしはしないことにしている。が、したいのが人情というものだ。やはり土俵の中心は若ノ花だろう。なにしろ横綱が目の前だ。栃のときも順調にことがはこばなかったから、若の場合もかるがるとはきまらぬが、優勝すればまず確実だ。この若の土俵と玉乃海がどれだけ飛躍するか。もう一つ、若の進出で秋場所の横綱陣は奮起してよい成績を収めたが、この場所はこの四人がそのまま持続するか、こんなところが初場所の見どころでしょう。
秀の山・・・はっきりいえば、若ノ花と四横綱の優勝争いとしぼることができる。
尾崎・・・すると栃が有望というわけか。
秀の山・・・いや、千代がいい。しかし、これはあまりいわないで下さい。とかく前評判がいいと、きまってダメになる。本人はもう固くなって家にいても、旅に出てもそればかり気にしている。
尾崎・・・すると出羽ノ海部屋にこの一年間ハタがいかなかったが、久しぶりというわけですな。千代、栃がいいときは、たがいに援護射撃できるから、どちらかが優勝できるわけだ。ところが若にとっても、玉が強くなったことはプラスだ。今場所は横綱陣にとって玉の存在はこわい。
秀の山・・・大内山、松登は優勝候補に入れることはできない。
尾崎・・・しかし、朝汐、玉乃海は一応はいるのではないか。
秀の山・・・優勝を左右はするが、まだまだ。もっとも上がガタガタに崩れれば別だが・・・。とにかく中心は若ノ花、これだけははっきりしている。秋場所で若がもっと前半に負けていたら横綱陣もあれほどいい成績はあげられなかっただろう。

住吉大神
博多で相撲と言えば「住吉神社」がある。航海安全・船舶守護の神様として信仰されているが、秋期例大祭では少年相撲が奉納される。数年に一度であるが神様の相撲というのがある。実際に私は見たことはないが、人形によるもののようだ。東西11柱の神様が相撲を取る。東の大将は身体の大きい祇園大神、西の大将はひときわ小さく真っ黒な住吉大神。ところが、小さいながらも攻めまくる住吉大神が勝利する。納得のいかない祇園大神はじめ他の神様全員で住吉大神に挑むが、住吉大神は全員をなぎ倒してしまう。身体は小さくても、圧倒的に強い神様は、子供たちが健康で強く育ってほしいという願いなのかもしれない。大相撲でも、小兵の力士が技を駆使して大きな相手を打ち負かすと胸がすく。ちょっと前なら舞の海、今なら安馬だろうか。


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大相撲十一月場所(11月12日〜11月26日)
朝10時過ぎ/物言いがつく 審議/勇み足あり/勝敗逆転
上の写真は、いづれも朝10時台、序二段あたりの様子である。どの一番も幕内の取り組みと全く変わらない。一場所7番しか取り組みがないだけに、もっと真剣かもしれない。その様子は、花道で出番を待つ様子にも表れている。待つ間、壁に向かって気迫のこもった鉄砲と四股をしている力士。立会いのイメージをつくっている力士、すり足をしている力士、それぞれが自分自身に気合を入れ奮い立たせている。日頃の辛く厳しい稽古に耐えた成果を、ここ一番に出すべく真剣勝負なのである。この一番に勝って、来場所の番付を一つでも上げる、それが全てだ。福岡国際センターに行く途中の力士にちょっと声をかけてみた。鳴門部屋の山口さんといい、取り組みは11時40分ころだという。これも何かの縁、山口さんが土俵に上がったので、大声で声援を送った。結果は力強い寄り切りで山口さんの勝ち。今場所は4勝3敗で勝ち越した。
大関在位50場所の貴ノ花は記憶に残る関取のひとりである。横綱と違って、常に勝ち続けなければならないポジションにあって、最長の在位を記録した。それこそ「心技体」のバランスを見事に維持し続けた結果だ。貴ノ花の魅力は、相撲そのものにあったといえる。画像の色紙は、1982年(昭和57年)に行われたサイン会でもらったものだ。引退した後のサイン会でも長蛇の列だった。
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