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FileNo.040321

私の勤務している事務所は、ビルの10Fにある。遠くには福岡空港に離着陸する飛行機も見え、見晴らしは極めて良好である。その10Fから見えるすぐそばの交差点の角地にビルが建とうとしている。数ヶ月前から基礎工事が始まって、最近やっと鉄骨が組み上がった。問題はそのビルの高さであるが、基礎工事をしている時に「あのビルはどれほどの高さになるだろうか」という話になった。私は「人間には“見栄”というものがあるから、どうせ建てるなら、隣のビルより少しでも高くするんじゃないか」と言っていた。さて、組み上がった鉄骨の高さを見ると、隣のビルより若干高い。それも、鉄骨の巾一つ分である。必要性があってあの高さにしたものか、真実は分からないが、とりあえず久英“にんまり”。

高橋尚子選手が、オリンピック日本代表選手を逃したことで、号外まで出て大騒ぎになっている。代表選手はおろか、“メダリストを補欠にと言うのはいかがなものか”というので補欠にも入っていない。小出監督と一緒に記者会見に臨んだ高橋選手は、「残念な気持ちもあるが、後は代表に決まった人たちに頑張ってほしい」と相変わらず優等生で、いつもと変わらない笑顔であった。だが、あの笑顔は本心を隠した“見栄”ではなかったか。さしずめ、私があの立場だったら選考基準のあいまいさに対して「どうして今回だけ、記録重視なのか〜!選考基準のメダルを取れる選手というのはどこにいった〜!だったら早く言ってくれれば名古屋を走ったのに〜!」と髪振り乱して悔しさをぶちまけるところだ。

辞書によれば「見得を切る」というのは「歌舞伎の演技・演出の一。劇的感情が高まったとき、俳優が、一時その動きを静止してにらむようにポーズをとること」となっている。歌舞伎の見せ場である。ところが「見栄」となると、「人の目を気にして、うわべ・外見を実際よりよく見せようとする態度」となり、あまりいい印象の言葉ではない。昔からの“ことわざ”に「武士は食わねど高楊枝」というのがある。武士として「見栄」を張って、食べてないのにいかにも食べた後のように楊枝を使うという意味である。しかし、解釈のしようによっては、「落ちぶれ果てても平手は武士じゃ。男の散り際だけは知っております」と、どんな状況だろうが武士としての誇りを捨てないというふうにも取れる。

人間が人間である所以は、「大脳新皮質」の存在である。それは、知性と理性を生み出した。人間は“がまん”しているときは「前頭葉」が活発に活動しているそうだ。学者ではないので間違っているかも知れないが、「見栄」を張っているときはその「前頭葉」が働いている いかにも人間的な時と言えるかもしれない。「起きて半畳、寝て一畳、天下取っても二合半」なんて言わないで、「見栄」をエネルギーに変えることも大切なことだろう。ちょっとだけ高いビルを建てたオーナーは、それなりに誇りを持って仕事に励むだろう。高橋選手は、この悔しさをバネに次の目標に向かって闘志を燃やすだろう。次のレースでは高橋選手が見事な成績を記録し、陸連の方を“きっ”とにらんで“大見得を切る”シーンを期待したい。

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尚、文中の辞書は、infoseek・辞書  > 大辞林(国語辞典) から引用しました。