唐津街道・前原宿 随筆のページへ

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FileNo.080322

前原駅前に集まった
ツアー参加者
江戸時代に唐津街道の宿場町として栄えた前原宿を、ガイドさん(郷土史家)の話を聞きながら散策するウォーキングツアーに参加してきた。題して「唐津街道・前原宿と宿場御膳体験ウォーキングツアー」。今日はその初回だったが、7月まで月2回、計9回開かれる。前原市は弥生時代の伊都国として有名だが、“それだけじゃないよ。江戸時代も宿場町として栄えたんだぞ”というイベントである。私は、江戸時代の前原について、ほとんど何にも知らないので、早速申し込んだ。唐津街道は、北九州市から、唐津市に至る、玄界灘沿岸約130kmの街道である。その中の前原宿は、福岡藩の西の藩境に設けられた宿場で、その先は中津藩の深江宿になる。
戦国時代の前原村は、現在の前原駅の南側付近で、ほんの10軒ほどの村だったという。前原の地名の由来が、村の前が原っぱだったので前原としたらしい。その後1638年の島原の乱の後、治安維持のため関番所が設けられ、さらに1685年頃お茶屋・人馬継所ができ、前原村の人たちを強制的に移し、宿場としての形が整った。前原宿は、いわば当時の都市計画で出来たようなものである。これから幕末までの約200年間、宿場として機能する。明治の初め頃には約110軒ほどあったようだが、平均すると約90軒くらいだったそうだ。
一度の参勤交代で数百人が宿泊したというから、賑わったことだろう。宿場の西と東の出入り口には、構口(かまえぐち:石垣の上に土塀を築き瓦で葺いたもの)が築かれていた。今は壊されて見ることはできないが、明治のはじめに作られた字図によって正確な場所を確認できるという。構口は宿場の入口、出口をはっきりさせることと、もう一つ重要な役目として、敵が攻めてきたときの防御の意味もあった。特に隣の深江宿は、幕府直轄から唐津藩へ、また直轄へ戻り更に中津藩へと不安定だったようだ。
前原宿・東側構口
宿場内には、藩主が別邸として使った御茶屋がある。現在では跡形もないが、その周りは空堀が設けられていたという。御茶屋は藩主が長崎に行く時や、帰路など折につけ使っていた。また、参勤交代で他の大名が通るときには本陣として使われた。一般の人は町茶屋に宿泊していた訳だが、町茶屋といっても御茶屋に次ぐ格式をもっていた。

綿屋の出店が
「古材の森」という
食事処になっている

掲げられた札
「綿屋」は寛政7年頃の創業で「西に前原綿屋あり」といわれたほどの豪商だった。福岡藩に多くの資金援助をしたことにより、藩から“大庄屋”格を与えられたという。この綿屋の分家の場所に「古材の森」という食事処ができており、今回はそこでの食事となった。入り口には棒の先に「松平美濃守 休」(=福岡藩主・黒田長溥公)と書かれた札が掲げられ、玄関には、家紋入りの幕が張られ、気分はまさに“お殿様”である。
運ばれたお膳は、福岡藩最後の藩主黒田長知公が、1862年二日市宿(大宰府の隣)に宿泊したときの献立をもとに作られたそうだ。これに、食後のコーヒーと赤米のおはぎがつく。私みたいなものには、本膳料理を高足膳でいただくことなど、こんな機会でもなければ体験することはない。





隣家の取り壊しで現れた
往時を偲ばせる町屋

人馬継所
今も残る昔の白壁や町屋を見ながら歩く。和泉屋の裏門は雰囲気がある。酒造をしていたらしく、今も和泉屋と書かれた酒瓶があるそうだ。他にも商店街のそこここに昔ながらの商店が点在する。店に入ると、店主が快くその店の歴史を語ってくれる。前原宿の中央にある人馬継所は、問屋場とも呼ばれ現在の駅や郵便局などの機能を有していた。東の今宿、西の深江の間にあり、荷物や駕籠を運ぶ人や馬が、交替をしていた場所だ。
宿場の管理をする代官は、御茶屋・町茶屋・関番所など宿場全体の管理にあたっていた。また隣の中津藩との藩境にあったため、御境目奉行も兼任しており、関番所を出入する人の往来手形を検めていた。この通行手形の他にも、福岡藩独自の通行手形である「添手形」というのを出していた。この「添手形」は、例えば西から入ってきた人であれば、この関番所で発行し、東の出口で回収していたという。当時の関番に任じられた人たちと同じ苗字の人が今もその場所に住んでいる。改めて江戸時代から連綿と続く歴史を感じさせる。
通行手形
ここに書いたほとんどが今日聞いたばかりの知識なので、理解不足があると思うが、これがまた新たな知識欲につながっていく。ここには前原宿のみに絞って書いたが、ツアーは、他にも笹山公園、老松神社など全行程4時間ほど、距離にして数キロほどのウォーキングである。心地よい疲労感とともに帰途についた。
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通行手形の文面
    往来一札之事

(住所・名前         )と申す者、
(旅の目的           )のため
往来の許可を願い出、本人の希望通り往来
の手形を差し出しました。
国々所々の御関所を滞りなくお通しください
ますようお願い申し上げます。
 また、右の者がもし病気になったり死亡し
たりしたときには、こちらへ届ける必要はあ
りません。その土地の作法で埋葬して下さる
ようお願い申し上げます。

(   )郡
   (    )村 庄屋(      )
(  )年(  )月

国々所々 御関所 村々役人中    [印]