北の零年

映画「北の零年」を観て File No.050129

小百合さん17才の頃

映画の頁へ

随筆のページへ

トップページへ

吉永小百合さん111本目の作品は、明治の初め、自分たちの国をつくろうと、希望に燃え北海道に移住した人たちの物語である。これは明治3年淡路・稲田家が、庚午事変で明治政府からの命で移住した実話が元になっている。激動の時代、侍の誇りと現実のはざ間で、悩み苦しみながらも、力強く生きていこうとする感動のドラマが繰り広げられる。刀を捨て、慣れない鍬に持ち替えて、容赦なく襲い掛かる厳しい自然と、時代の大きな流れに立ち向かう。凛として生きる人、変わり身のはやい人、生きることに不器用な人、心ならずもそこに身をおいた人。この映画は北海道の自然を背景に、こういった揺れる人の心と生き方を描き、観る人を引き込んでいく。人間の生きかたは、人によってそれぞれ違うのは当然である。いづれの生きかたも“生きていく”という極限から考えれば反社会でない限り非難はできまい。そんな思いで映画を観ていた。

吉永小百合さんがきれいだ。“志乃”役で、武家の嫁として控えめな女性、帰らぬ夫の留守を守り耐える女性、牧場の経営で自立し力強く生きる女性、と変化する生きかたを見事に演じている。監督があるシーンの撮影で「世のサユリストに殺されるぞ」と言われたほど厳しいシーンがあったそうだ。恐らく夫を探しに出かけ、雪の中で行き倒れになるシーンだったのではないだろうか。この映画にかける小百合さんの気迫を感じるエピソードである。他にも、“引き馬”の場面は「危険なのでやめたがいい」と言われたシーンだそうだ。映画を観ていると、とてもそんな危険なこととは思えなかったが、我々が知らないだけでこの映画は、過酷なことや危険なことと隣りあわせで撮影されたシーンがつなぎ合わされたもの、と言えるのかもしれない。小百合さんが言った「壮絶だった」という言葉がそれを裏付けている。

今までの映画で記憶に残るシーンも多い。「キューポラ」は別格として、日活の新人として登場した赤木圭一郎の「拳銃無頼帳・電光石化の男」、石原裕次郎と共演した「若い人」。強烈な記憶の「愛と死を見つめて」では、電話口で痛みをこらえながら「禁じられた遊び」を聞くシーン、ベッドに横たわり「病院の外に、健康な日を三日ください。一日目・・・」のシーンは切ない。寅さんのマドンナも忘れられない。「柴又慕情」で、はじめて寅さんに会い写真を撮るシーンで、寅さんの言った「バター〜」は時々使った。「夢千代」で見せたあの艶やかな芸者姿。これがきっかけで「原爆詩」の朗読は小百合さんのライフワークになった。「天国の駅」では、最後に紅をさす。「華の乱」では、恋に燃え有島武郎を追って北海道へ行く。北海道の地を馬で駆ける二人。真っ赤な夕焼けのシーンが印象的だった。


「世の中には“男”と“女”と“女優”がいる」と言った人がいる。これは余りいい意味で言った訳ではないようだった。しかし、私はこれにいい意味で“女優・吉永小百合”を当てはめたい。つまり、男と女などという範疇で分けて欲しくないのである。“サユリスト”という言葉は、いまだに輝き続け、更に輝きを増している。我々は、“女優・吉永小百合”という虚像を通して“人間・吉永小百合”という実像を感じ取っている。私は小百合さんと、年齢が半年ほどしか違わない。同じ年齢で同じ世相を生きてきたわけである。遠い存在ながら、折にふれ近況は耳に入ってくる。数十年にわたり並々ならぬ努力をもって、才色兼備を維持しているその生きかたこそが今の輝きなのである。「北の零年」の“志乃”の凛とした生きかたと、どこか通じるものがないだろうか。


映画の頁へ 随筆のページへ トップページへ


STORY
監督:行定 勲
出演
:吉永 小百合、渡辺 謙、豊川 悦司
明治3年(1870年)庚午事変で、明治政府は、徳島藩稲田家に北海道移住を命じる。明治4年家老・堀部賀兵衛、小松原英明(渡辺謙)ら率いる先遣隊主従546名は、稲田家の新しい国をつくるべく、北の大地に下り立つ。しかし、温暖な淡路とはあまりにも違う厳しい自然と荒地。夢の実現は困難を極める。英明は、この地でも育つ稲を探しに札幌に出かける。留守を守り、ひたすら夫の帰りを待つ志乃(吉永小百合)だが、英明は帰ってこない。食料不足が深刻になっていく中、足元につけ込む商人・持田は、志乃に言い寄る。志乃の危機を救ったのは、アイヌの男・アシリカ(豊川悦司)だった。みんなの非難を受ける志乃と娘・多恵は、英明を探しに札幌へ向かうが、吹雪の中で行き倒れとなる。そこに偶然通りかかった異人・エドウィン・ダンに助けられた二人は、牧場の経営を教えてもらう。アシリカには陰になり日向になり助けられ、牧場の経営も順調にいっていた。そんな中、突然政府の命令を持って英明が帰ってくる。

追伸春の褒章・・・吉永小百合さんら785人・団体 (2006・04・28西日本新聞より)
政府は28日付で、2006年春の褒章受賞者785人・団体を発表。九州・山口からは97人が受賞した。学術文化・スポーツ分野の功績者に贈られる紫綬褒章に、トリノ五輪フィギュアスケート優勝者の荒川静香さん、ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)で優勝した日本代表チーム、女優吉永小百合さんらが選ばれた。
女優 吉永小百合さん  確かな演技力で魅了
「道半ばで頂いて良いのかしらと戸惑いました。でも長い間、一つの道を歩いてきたことを評価していただき、心より感謝しております」。紫綬褒章の吉永小百合さん。1956年にデビューしテレビドラマや映画などで活躍、国民的スターに。しんの強さを秘めた清純な雰囲気で、多くのファンを魅了してきた。確かな演技力への評価も高い。「新人に帰った気持ちで取り組みました」という、昨年公開の映画「北の零年」は百十一本目の出演作。ひた向きに生きる明治の女性を演じ、四度目の日本アカデミー賞を受けた。平和の尊さを伝えたいとの思いが強く、ボランティアで続ける原爆詩の朗読がライフワーク。現在は、沖縄戦を題材にした戦争童話の朗読CDを製作中で多忙なため、改憲は開かずコメントで喜びを寄せた。


追伸2006・03・03:第29回日本アカデミー賞
「ALWAYS 三丁目の夕日」が13部門中12部門獲得する中で、唯一吉永小百合さんが「主演女優賞」に輝いた。強敵に一矢を報いた「唯一」というところ、それも「主演女優賞」というところに大きな価値を見る受賞だった。
 ○作品:「ALWAYS 三丁目の夕日」○監督:山崎貴○脚本:山崎貴、古沢良太(「ALWAYS三丁目の夕日」)○主演男優:吉岡秀隆(同)○主演女優賞:吉永小百合(「北の零年」)○助演男優:堤真一(「ALWAYS 三丁目の夕日」)○同女優:薬師丸ひろ子(同)○音楽:佐藤直紀(同)○撮影:柴崎幸三(同)○照明:水野研一(同)○美術:上條安里(同)○録音:鶴巻仁(同)○編集:宮島竜治(同)○外国作品:「ミリオンダラー・ベイビー」





オリジナル・サウンドトラックCDを買いました

「陸が見えたぞ〜!」と北海道の地が見えたときの、壮大なメインタイトル、行き倒れになるシーンでは、吹雪の音にかき消されるように震えるテーマ曲、「生きている限り、夢見る力がある限り、きっと何かが助けてくれる」希望に満ちたシーンをテーマ曲が盛り上げる。映画館の音響システムを通して聞くと、場面、場面が“ズシン”ときます。名曲です。


明星 昭和38年4月号 付録


前売り券の半券(映画:夢千代日記)


吉永小百合さん 17歳の頃

平凡 昭和38年4月号 付録
小百合ちゃんの近況(明星 昭和38年4月号付録より)

  このお正月、映画界に入ってはじめて一家そろって伊豆へ行き、ゆっくりくつろいだ小百合ちゃんでしたが、1月6日からあとは1日も休みなしでお仕事。それに、レコード大賞、ブルー・リボン賞をはじめ、いろんな賞をひとり占めにした小百合ちゃんのところにはジャーナリストが殺到というわけで、小百合ちゃんはイヤでもオウでも、仕事そのものの中に楽しみを見出す以外はないということになります。
  さて、お仕事ですが、1月27、28日と、「泥だらけの純情」のロケで、浜田光夫さんと赤倉スキー場に行きました。ふたりともスキー場はまったくはじめて。ハリキった小百合ちゃんは、お母さんと銀座でスキー道具を買いととのえて出かけました。ロケ隊のコーチについて猛練習の結果、ふたりとも何とかすべれるようになって大喜び。
  この映画が終わってすぐ月始めから「雨の中に消えて」が撮入。相手役は高橋英樹さんで、日活初出演の十朱幸代さんの共演。これは小百合ちゃんとしてははじめての本格的なおとなのメロドラマ。3月13日に満18歳になる小百合ちゃんとしては、ブルー・リボン賞という栄誉への責任感からもこのおとなの役に真剣に取り組みました。この映画の主題歌もすでに吹き込みを終わりましたが、これまた、小百合ちゃんの成長を物語るステキな歌です。




我々が青春だった頃のスターが、いつまでも輝き続けているということは、すなわち我々の青春時代を大事にしてもらっていると言うことに他ならない。
映画館「中洲大洋」の1F「キネマカフェ」にあった、
昭和40年頃の雑誌「映画情報
この頁の最初に戻る 映画の頁へ 随筆のページへ トップページへ