セオリー

「街を歩くカップルは似たもの同士」
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File−No.020319

私は、外の人通りの見える喫茶店で、行き交う人を見ながら時を過ごすのが好きである。それも、人の表情、服装、などが間近に見えるところでなければならない。なぜなら、目的が「人間ウォッチング」だからである。事の始まりは、昔東京に出張した時のことである。渋谷駅前の交差点を見下ろせる喫茶店に入ったことがある。たまたま空いていた席が、外の見える席だった。広く大きなウィンドに沿って、カウンター席があり、外の行き交う様子を眺めながらコーヒーを楽しむようになっていた。さて、その見晴らしであるが、交差点の人の多さに驚く。信号が変わって一斉に動き出すと、まるで「黒い絨毯」みたいである。・・・と言っても分からないだろうが、もう40年以上も前の映画で、アリの大群がアマゾン奥地の農園を襲うパニック映画のことだ。そのときフッと思った。この一人一人に「人生」があり、喜怒哀楽があり、全く違うプロセスからたまたま同じポイントに居合わせただけの人たちなんだと。「袖摺りあうも他生の縁」、なんだか妙に「奥深い」ものを感じたわけである。

人間は、一生のうち他人の人生とかかわるのはほんの少しである。推理ゲーム感覚で、人間観察しながら他人の人生に勝手にかかわって見るのも面白い。そのうち一つの法則を見つけた。それは「街を歩いているカップルは、同じ価値観を持つ似たもの同士である」という法則である。ふっとその人全体から感じる第六感的印象で似ているのである。知的レベルから受けるオーラとでも言おうか。早い話が、いかにも話が合うだろうなと言う印象を受けるのである。知的レベル(内面)が似ていると、ファッションや顔つきといった外面も似てくるようである。100%とは言わないが、多くを分析してきた私の結論である。

あるときアクロスで出会った人のことである。きちっとした身なりの紳士とすれ違った。服装で言えばトラディッショナルな雰囲気である。更に別の場所で、これまたきちっとした雰囲気の女性に会った。ふっと先ほど別の場所ですれ違った紳士と同じオーラを感じた。内心「私のセオリーから言えば、二人は夫婦である」などと勝手に結婚させてしまった。ところが驚いたことに、これまたその日のうちに、時間も場所も全く違う地下街で、なんとその二人が一緒に歩いているではないか。「う〜ん、私の法則は正しかった」と意を強くした次第である。

うまくいっている夫婦と離婚した夫婦との比較調査では、うまく行っている夫婦のほうが、趣味・自由時間のすごし方などの一致度が高いそうだ。人は価値観や、趣味が似ていると「自分と同じだから相手の行動を探る必要がない」、つまり楽な気持ちになり相手に好意を持つと、テレビの「あるある大辞典」で言っていた。これを「類似性の効果」と言うらしい。恋人にしろ、夫婦にしろ永い時間を一緒に過ごすわけであるから、人生観・価値観の一致は非常に重要である。

私の勤務している事務所は、10Fにあり非常に眺めがよい。いつも外の景色を見るとき、あるビルが目に付く。このビルは、上から見ると細長い、まるで「ベルリンの壁」みたいなビルである。いつも、このビルの部屋はどうなっているのだろう」と気になっている。10Fの眺めは、視界をさえぎるものも少なく良好であり、俯瞰で見る分、ビルの実態が3次元的に見える。一方1Fからの眺めは、視界をさえぎるものも多く、対象物が平面的にしか見えない。きっとこのビルは立派に見えるだろう。同じ対象物をみても、その判断には大きな差がでる。つまり、1Fの人には、10Fの人の判断が理解出来ない訳である。例えが適正かどうか疑問だが、これが価値観の違いではなかろうか。つまり、価値観とは、そのものにどういう意義を認めるか、それぞれの人の考え方である。

居るフロアーの違いは、努力で解決できるものではない。永い道のりである、そのフロアー(レベル)の違いを埋めるエネルギーは、限りなく「ゼロ」に近いことが望ましい。しかし、ここで問題なのは、価値観は同じでも、その捉え方は人によって当然違う。人間100人いれば100通りの捉え方がある。捉え方の違いは、お互いが認め合うなら、「性格の不一致」ではなく、「個性」なのである。二人が一緒に暮らす為には、価値観の類似性は必要だが、何も性格まで同じである必要はない。価値観をより重視すべきである。同じ土俵(価値観)上での事だからこそ、お互いの意見(個性)は、対等にぶつかる事もできるし、尊重しあうこともできるのである。

皇太子殿下がご婚約会見で、こんな話をされた。「二人でさまざまな事を学びあって、ともに高め合っていく。共通する話題ですが、音楽、スポーツ、歴史、政治経済にいたる幅広い分野でいろいろ話ができる。とにかく一緒に話していて非常に楽しいというのが私の印象です」。殿下は雅子様を、人生のパートナーとして考え方や気持ちの一致を大切にしておられる事がよく分かるお言葉だった。

「街を歩いているカップルは、同じ価値観を持つ似たもの同士である」という私のセオリーは、三浦哲郎の「忍ぶ川」のこんな一節に極まる。「世の中に、これ以上小さな結婚式は無いであろうが、またこれ以上、心がじかにふれあって、汗ばむほどに温かい式も他にないはずである。・・・・ちいさく、貧しくとも、強く心ゆたかに生きようというのが私達の信条である」。生きていく上で、同じ信条を心の絆にできるカップルこそ“究極”の「同じ価値観を持つ似たもの同士」と言えよう。「カップルで街を歩く」ということは、それ自体すばらしいことなのである。



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