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旧平和台球場外壁
球場への案内プレート
球場の記念モニュメント
 「平和台野球場記念モニュメント」より

1948年、第3回国体会場として誕生した運動場は、強く平和を祈る気持ちから「福岡平和台総合運動場」と命名され、1950年全国的野球人気の高まりからサッカー場跡は野球場への改造が決定し、25,000人収容の市営球場「平和台野球場」へとその姿を変えました。
 1952年、西鉄ライオンズの本拠地となってからは、1954年、リーグ初優勝、1956年からの日本シリーズ3連覇など球史に残る幾多の名勝負を展開し、福岡市民に愛される感動の舞台となりました。
 同時に、広くアマチュア野球の中心的球場としても使用され、大学・高校球児をはじめ広く市民に親しまれ、その使命を果たしてきました。
 そのような中で、1997年「平和台野球場」は約半世紀に渡る栄光の歴史に幕を閉じ、「舞鶴城址将来構想」により歴史公園として生まれ変わることとなりました。
 ここに、戦後の混乱から市民に復興の意欲を燃えたたせ、スポーツこそは平和の象徴であるとして「平和台野球場」が誕生し、数々の歴史が刻まれてきたことを後世の人々に語り継ぐべく、記念碑を建立しました。
             2002年3月3日
              平和台野球場記念モニュメント建立委員会