私の中の野生
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File-No.000618


最近、私は家族から、「野生的感覚がなくなった」と非難の集中砲火をあびている。車の運転が「カーナビ」に頼りっきりで、「判断力」がなくなっているというのである。事の始まりは、先ごろ谷山港にアメリカの軍艦が停泊しているというので場所が分からないまま「カーナビ」も設定できず見物に出かけた。結果的に遥か彼方から海岸線に沿って延々と走ることになった。「カーナビ」を使用してほぼ5年になる。知らない街で運転していてこれほど有りがたいものはない。「300M先右方向です」「300M先斜め左です」と言われるがままに走ると、フッと目の前に目的の場所が現れる。かって「湾岸戦争」で米軍兵士が砂漠のど真ん中でほんの数メートルの誤差で自分の位置を把握していた。「GPS」という現代のハイテクのなせる技である。


ほんの数年前登場した「ポケベル」は消えてしまい、今年の「ビズネスショウ」では、「歩くテレビ電話兼ポケットに入るパソコン」とも言える電話の常識をはるかに超える次世代携帯電話が発表されている。移動電話は、すでに国民の二人に一人が持っている。更に需要は拡大し2005年度には「ほぼ、三人に二人」が持つと見られている。パソコンや携帯電話の普及に伴って、インターネットでモノやサービスを売買する電子商取引も急速に増加している。通産省は、電子商取引の市場が98年現在の9兆円から2003年には72兆円に拡大すると予測している。要するに我々を取り巻く環境は、IT(情報技術)によりすさまじい勢いで進歩している。


地球上に生きるものすべてが、永い歴史を生き抜くうち、その時々の環境に応じて常に変化し順応してきた。大海を悠々と泳ぎ回るクジラは、環境の変化を生き抜く為に、海へ進化の道を見出し、適応していった。このクジラは最近遺伝子の研究によって「かば」にもっとも近い動物と判明した。「かば」と「クジラ」は、元は同じなのである。人間も進化する部分は進化し、退化する部分は退化して、現代に至っている。私の小さい頃「火星人」というイメージキャラクターがあった。頭でっかちで足は細くてながく「たこ」が立って歩いている風であった。これにはハッキリした根拠があって、人間が進化すると頭が発達して、足は退化するという考えに基づくものであった。


我々を取り巻く環境の変化の激しさと、生物がその環境に伴って進化・退化をいていくことを述べた。そこで、私の中における「野生」の話に戻る。なくなって当然とは言わないが、なくなる事はやむをえない事だと思っている。かつての日本の生活様式は、何時しか機能的な欧米風に変わってきた。車社会になり、「ふとん」が「ベッド」になり、トイレも洋式になった。結果、歩く機会が少なくなり、ふとんの上げ下ろしもなくなった。トイレでしゃがむことがなくなり、足腰は確実に弱ってきている。「郷に入りては郷に従え」、野生を維持する為に、小さな抵抗をしたとしても、所詮大きな流れには逆らえない。「現在の環境」に順応し、「現在(いま)」を大いに楽しもう。そして積極的に「未来」を先取りしようではないか。









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