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蜉蝣(かげろう)の命 心霊現象

[2020/09/21]

蜉蝣(かげろう)の命(画像:電子辞書・広辞苑より)
吉野 弘「I was born」より

父は無言で暫く歩いた後、思いがけない話をした。
---蜉蝣という虫はね生まれてから二、三日で死ぬんだそうだが それなら一体 何の為に世の中に出てくるのかと そんな事がひどく気になった頃があってね---
僕は父を見た。父は続けた。
---友人にその話をしたら、或日、これが蜉蝣の雌だといって拡大鏡で見せてくれた。説明によると口は全く退化して食物を摂るに適しない。胃の腑を開いても入っているのは空気ばかり。見ると、その通りなんだ。ところが、卵だけは腹の中にぎっしり充満していて ほっそりした胸の方まで及んでいる。それはまるで、目まぐるしく繰り返される生き死にの悲しみが 咽喉もとまで こみあげているように見えるのだ。 つめたい 光の粒々だったね。私が友人の方を振り向いて<卵>というと 彼も肯いて答えた。<せつなげだね>。

蜉蝣は3億年の昔から命を繋いできている。巨大大陸・パンゲアの時代である。地質年代で言えば「石炭紀」後期から「ペルム紀」初期の時代で、陸地に大森林が広がり、は虫類が進出してきた頃だ。この気の遠くなるような長い年月を生き抜いてきた。しかもその一代の寿命は短い。『目まぐるしく繰り返される生き死に』と書かれているように、オオシロカゲロウは羽化して使命を果たし、数時間で死んでしまうという。ただ一つの課せられた使命である次世代へ命を繋げば、あとは死を待つだけなのである。つまり『口は退化して食物を摂るに適しない』。もはや栄養は必要ないのだ

我々からみれば、かわいそうに思うが、次世代へ命を繋げば、そこで死ぬのは自然の摂理である。ホタルイカも産卵を終えたメスは、力尽きてそのまま浜辺に横たわる。蜉蝣は、3億年の間にどれだけの世代が命を繋いできたのだろうか。この間遺伝子のコピーミスもなく、受け継がれてきた訳だ。6600万年前、恐竜が絶滅した時代をくぐり抜け、多くの動物が絶滅した直近の氷河期も耐えた。生き物たちは皆そうだが、次の世代へ命を繋ぐため、厳しいサバイバルを切り抜けてきている。その間、蜉蝣は親から子へと“命”が淡々と受け継がれてきたのだ。

一方、人類はどうであろうか。人類が現れたのは700万年前。我々ホモ・サピエンスは、わずか20万年前である。頑丈なネアンデルタール人は3万年前に絶滅した。だがホモ・サピエンスは、その弱さゆえ協力し合って生き延びてきた。そこには連帯感や思いやりといった“心”の進化があったに違いない。縄文時代の我々の祖先は、そんな心と共に、自然に対する畏敬の念をも持っていた。自然の循環に寄り添い、自然を生かし、自然に生かされながら暮らしていた。だからこそ1万年という長い時間を生き得たのである。ところが地球環境を激変させたのが、わずか200年足らず前の産業革命だ。食物連鎖の頂点に立った人類の“おごり”は留まること知らずである。

中島敦著「山月記」にはこんな言葉が書かれている。
『人生は何事もなさぬには余りに長いが、何かをなすには余りに短い』
極めて複雑で高度なシステムを獲得した人類だが、動物としての人間は本来、不死の細胞系列(生殖細胞)を得たことで、次の世代へ命をつなげば、当然そこで終わる。だが、ヒトとして生きるには、そこに“生きる意味”を求め、より豊かに生きようとする。その結果、巨大な脳は「策士、策に溺れる」に陥り絶滅の道を歩いている。かげろうが3億年命をつないできたのは、ただひたすらそれだけを使命として生き抜いてきたからに他ならない。

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2020/09/11]
心霊現象

一枚目

二枚目
昨日、久しぶりに近くをカメラ散歩した。その途中、小川の中に小魚が群れて泳いでいた。何となくカメラを向けた。水の中であり、光との兼ね合いで、はっきりした画像は期待できなかったが、確認してみた。ところが驚いた!!右上に人の顔が写っていた。それも間違いなく「デスマスク」である。何が写り込んだのか分からないまま、あわててもう一枚撮った。しかし、二枚目には、何も映っていなかった。そこで再度一枚目の写真を確認した。ところが、更に驚くことに、その「デスマスク」は消えていた。

よく聞く話に「心霊写真」というのがある。写真をプリントして、よく見ると映るはずのない、人物らしきものが写りこんでいるというものである。だがこれは、写りこんでいる画像を、誰もが見ることができる。ところが、私の見たのは、私だけに一瞬見せただけで消えた。家に帰って一枚目をよくよく見ると、人間の顏と見えなくもないものが写っている。しかし、私が見た「デスマスク」は、こんなものではなかった。ひと目見ただけで、戦慄が走ったくらい、浮き上がってくっきりしたものだった。

30年も前だったろうか、飼っていたいた猫君が、死んだときのことだ。小雨が降って庭の石垣が少し濡れた状態だった。そこに、死んだ猫君の姿がくっきり浮かび上がった。埋葬したすぐそばの石垣だった。家族一同びっくりしたが、よく見ると石垣の一部が雨に濡れて黒くなったところと、濡れていない白いところが、遠くから見るとまさに生前の猫君に見えたのだ。しかし、これは間違いなく猫君が「ここにいるよ」という意思の表れである。猫君の居る世界から、こちらへの伝達方法に石垣を使ったと思われる。

今回、私だけに一瞬みせた姿は、何を意味していたのだろうか。いくつか理由を考えてみた。
@その場所で昔亡くなった人が現れた。
A部分的にしろ私と同じ遺伝子を持つ人が現れた。
B私自身の「デスマスク」だった。

一番可能性が高いのはBのように思う。人は自分自身の「デスマスク」は、この世からは見ることができない。そこで「これがお前のデスマスクだよ」とあらかじめ、あの世から見せてくれたに違いない。伝達の手段は、猫君の時は石垣だったが、今回は水面をキャンバスにした。私だけに一瞬だけ見せたということが、私だけへのメッセージを現している。私もすでに後期高齢者である。何時あの世からお呼びがかかってもおかしくない。今回は貴重な経験となった。
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2020/09/0ルビコンよ、お前はにんげんじゃない!!
私がこのホームページで支持した人物、グループをことごとくつぶしていっている。今回の安倍首相の辞任は、お前の仕業だ。辞任パターンが、ワンパターンだからすぐ分かる。SMAPが解散したとき、事務所に残るか出るか微妙な雰囲気だった。ところが突然、事務所を出ると決断。SMAPは分裂し、しかも、汚い裏切り者の木村を異常に活躍させている。貴乃花親方の相撲協会離脱もまた同じだった。ありえない降格人事だったが、それでも親方は頑張っていた。しかし突然協会をでることを決断した。今回の安倍首相辞任も突然だった。病気の再発でダメ押、辞任を決断させた。みんな共通しているのは、私が支持していたことと、みんなが驚く突然の決断である。

そもそも今回のコロナウィルスこそお前の仕業だ。これでなにもかもチャラにした。まず豪華客船を日本に立ち寄らせ、その対応で世界の非難をあびせさせたのが始まりだ。アベノマスクがうまくいかなかったのも、東京五輪の延長も、すべてお前のコントロールだ。経済も8年かけて積み上げてきたものを、今年4〜6月期の落ち込みだけで泡と消えた。何もかも政権叩きの材料にした半面、同じコロナ対策で、何もしていない小池百合子を圧勝させた。韓国では、最悪の経済状態だが、コロナ対策だけで、これもまた圧勝させた。さらに言えば、アカデミー賞を韓国に取らせたのも間違いなくお前のコントロールだ。コロナで困窮する人のこの声を聞け。「何とか生きていかないといけないけど、もう限界かもしれない」。

天気のコントロールもまたお前だ。線状降水帯にはじまり、どれだけの人を苦しめ、また死なせたことか。今度発生した10号台風は、まれに見る強い台風で、九州を縦断しそうだ。またどれだけの被害がでるのか。先ごろ被害にあった人のこの言葉を聞け。「私が何か悪いことをしましたか」。怒りと悲しみと落胆が入り混じった悲痛な叫びが分かるか。お前は人間の皮を被った畜生だ。犬や猫でさえもっと愛情というものがあるぞ。いいか、コロナを早急に終息させ、東京オリンピックを開催させ、経済を復活させろ。

2020/09/09
今回の台風10号は、事前の予報では、経験したことのない猛烈な台風ということだったが、被害はごく普通の台風といったものだった。これはルビコンが配慮したものだと思っている。これからも手を加えず、自然のままのであってほしいと願っている。