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[地獄の黙示録]

2001年特別完全版
1979年オリジナル版
2002年2月10日  福岡・天神東宝
監督:フランシス・フォード・コッポラ
主演:マーティン・シーン
   マーロン・ブランド
[物語]
ベトナム戦争が真っただ中のサイゴン。アメリカ陸軍情報部のウィラード大尉にある密命が下される。それは、カンボジアに特殊任務で赴いたままジャングル奥地に自らの王国を築き、カリスマ的な存在と化した危険人物カーツ大佐を暗殺せよ、というもの。ウィラード大尉は4人の部下とともに哨戒艇に乗り込み、幾多の異常な世界を体験しながら川をさかのぼる。彼らは、やがて、カーツ大佐が潜伏する“王国”へと辿り着く。

アメリカは、民主主義世界を守るという名のもとに、ベトナムを戦争に巻き込んだ。ケネディ、ジョンソン、ニクソンと3代の大統領が関与し、国の威信をかけて挑んだ戦争だった。当初、アメリカが本格的に介入すれば、戦争はすぐに終わるという楽観論が多かったようだ。ところがこの戦争の犠牲は大きく、ジョンソン大統領は「考えれば考えるほど、戦う価値がないと思える。しかし、この戦争から手を引くこともできない。これは最悪の泥沼状態だ」と国家安全保障補佐官に語ったという。ベトナムで戦った兵士の多くが「一体何のために戦っているのか、それがわからないことが最もつらい。結局最後まで分らずじまいだった」と話す。

今回の完全版で挿入された農園のシーンでも、「アメリカ人はいったい何のために戦っているのか。歴史にも前例のない無意味な戦いだ」、「私達は、私達が持っているものを守る為に戦っている。しかし、アメリカ人は大いなる幻想、実態の無いものの為に戦っている」とフランス人からウィラード大尉に強い非難が浴びせられる。アメリカがベトナムから撤退したのは、世界からの非難だけではない、アメリカ国内の世論に耐え切れなくなった
のである。大統領が「戦う価値がない」と言った戦争に、アメリカ軍は6万近い戦死者を出し。南北ベトナム人民は200万の人が犠牲になったのである。

サーフィンをしたいが為に村を焼き払うシーンがある。まさに人間性を無視した「狂気」そのものである。カーツは「奴らは私を人殺しと呼んでいる。人殺しが人殺しを責める?欺瞞(ぎまん)だ」とテープに吹き込んだ。欺瞞は、ナパーム弾を打ち込みながら、子供のけが人をヘリで運ばせるシーンなどで表現している。カーツが反抗したのは、何よりもこのベトナム戦争が持つ根本的な欺瞞性に対してである。それこそこの映画の意図するところではなかろうか。

終わり近くにカーツ大佐が口ずさむ。「我らはうつろな人間・我らは剥製(はくせい)の人間・互いに寄りかかりながら・頭には“わら”しか詰まっていない」ウィラード大尉の手にかかって大佐が殺される場面は、水牛のいけにえとオーバーラップさせている。何を暗示しているのだろうか。原題の「アポカリプス」とは、「隠された真理の開示」という意味である。カーツ大佐は、自由を手に入れようとした。それは、自分自身からの開放という究極の自由であった。